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11.03.11

110311.jpgものすごく久しぶりですが、元気です。長男は幼稚園に入園し、新しい生活がはじまりました。桜の舞い散る中、自転車での送り迎え。なんだかふわふわと現実感のない日々がずっとつづいている。あの日、3月11日。母が手伝いに来ていて、私は石けんを作っていた。やっとトレースが出たのが2時頃。「遅くなったから保育室行くのやめようか?」お友達と児童館的な所で遊ぶ予定だった。いつも外出を嫌がる長男は「絶対に行く!」と何故かかたくなに言うので、あわてて出かける事に。母は帰る予定だったので一緒に家を出る。保育室について30分もしないうちに建物がユラユラと揺れはじめた。部屋のドアを開けようと立ち上がると、歩きづらいほどに揺れている事がわかり、冷たい汗が出た。ドアを開けてからも長い間揺れていて不安だったけれど、ママ友がこども二人を抱きしめているのを見て、みんな冷静だ、取り乱してはいけないと思えた。揺れが収まってから、貴重品だけ持って2階の保育室から1階の中庭に出た。図書館と公民館が一緒になった施設はいかにも頑丈そうな2階建てなので少し安心出来たけれど、その後も余震が心配なので解散することに。自転車に乗って帰ろうとすると、また大きな余震。自転車も危ないので、みんなで近くの小学校の校庭に避難させてもらう。

校庭には大きく立派な孔雀がいた。その孔雀がギャーと鳴いてしばらくすると、また大きな揺れ。孔雀が鳴いて揺れるということが何度か繰り返された後、孔雀が羽を広げた。羽を広げた孔雀は本当に大きくて「こんな立派な孔雀を見たことがないよ」と、場違いなことを話す私たち。だいたいが孔雀が鳴いているところなんてはじめて見たし。しばらくすると、孔雀が羽を閉じたので帰宅することに(孔雀の信用性はかなり高いと判断する私たちw)。家に帰ると、南北に揺れたようで、北向きのキッチンのオープン棚からは色々落ちていて、アルコロックのヴィトロフラム(鍋)が床で粉砕していた。うちには写真立てが多いんだけど、何個か思い切り落ちたようで床に深い傷が出来た所もあった。被害のほぼない寝室にこども達を閉じ込めて、ワレモノを片付けた。片付けながら家に居たらケガをしていたかもしれないと、改めて思った。母とは連絡がつかず、一度連絡がついた父から母は新宿で足止めされていると聞いた。新宿で働いている弟になんとか母と連絡が取れないかとメールを出す。旦那さんの無事をTwitterで確認してからテレビやネットでこの地震の凄まじさを知る。現実感がまるでない。この日、旦那さんは3時間30分かけて歩いて帰宅した。母は14:30頃から今にも走るのではないかと新宿駅に居続けた。20:30頃、母を探してうろうろろ歩く弟と新宿駅で奇跡的に会う事が出来た。その後は弟の仕事先の事務所で眠り、12日の朝、実家にやっと帰宅した。私の石けんのせいで帰るのが遅くなってしまって、母には申し訳ない事をした。あれから一ヶ月が経ち、あの時作った石けんが出来上がった。余震はまだ続き、原発はいまだに収束していない。なかなか落ち着かない中の新しい生活。思うことはたくさんあるけれど、とにかく生活しなくては。

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